ものを大切にするということ
id:ZO353さん経由(id:ZO353:20041203#1102069244)で知った話、に353さんのところにコメントをつけようと思ったものの、長くなりそうかつ脱線しそうなので自分の日記に。
id:353さんは「人が大切にしてるものを壊したりするのは最低の極み」と書いておられる。私はこれに同意する。そしてid:tzkさん(id:tzk:20041203#1102064517)は「とにかく人が「大事だ」と主張しているものをからかい粗末に扱った挙句壊してしまうというのは許しがたい。」と書いておられる。私はこれにも同意する。
ここから少しだけ発展させて。
人とものとの関係、そのものと関わっている人の気持ちは(「所有している」「自分が作った」「大事にしている」「購入する」「迷って手に入れられない」「所有者は自分ではない」「憧れる」ということも含めて「関わっている」と表現する)、そのものと関わっている人以外の第三者からは、わからないものがある。常に「わからない」という可能性がある。そのことをまず心にとめる必要がある。
また、同一のものに対しても、違う人は違う想いを抱いていることがある。例えば、ある商品、ある建造物、有形無形のもの全て(何をもって「同一」とするか、「そのもの」でなくても商品の場合型番などが同じなら「同じ」とみなせるかどうかは別の問題なのでとりあえず先送りする)。
同じものに対して、違う人は違う想いを抱いている。どんな想いであれ、その想いは大切に守られるのが望ましいと私は考える。「大切に守りたい」と思う人の気持ちも大切にされるのが望ましいし、「あんなものなくなってしまえばいい」と思う人の気持ちも大切にされるのが望ましいと私は考える。ただ、その前に、「自分以外のいろいろな人の気持ちに想いを寄せる」ということは絶対に必要なことであると私は考える*1。
いろいろな人がいること、いろいろな人はいろいろなことを考えていること。
そういう姿勢に立つならば、353さんが言及されたようなかなしいことは起こらないだろう。
うまく書けないのだけれど、「壊れてしまえばいい」「壊してしまえ」と1度は思ったとしても、実際にそうする前に、「このものを、大切に思っている人もいるかもしれない」ということに想いを馳せることができれば、実際に壊すという行為には至らないだろう。まずは話し合いができるだろう。
この世に「同じ」ものはないのだから。あのバッグ、あの香水、あの化粧品、あの作品、すべていろいろな人のいろいろな思いが詰まっているものなのだから*2。
私は353さんの書かれたこと、またリンク先で言及されていることに関して、怒りとともにかなしさをおぼえる。
冗談だったから、お酒が入っていたからということは絶対に言い訳にならない。
「まだ子どもだから」というのが言い訳になるかどうかは微妙だけれど、ならないで済むように、つまり子どももこのことを実感できるようであってほしいと思う*3。